Story
この選手を知る — シマノの社員のまま、1996年のツールを走った
今中大介は31歳になる年に、シマノの社員のままイタリアのポルティというチームへ渡り、アシストとして走った。入って2週間はチームから何の連絡も無かった。帰されると思い、毎日スタンガ監督に練習のメモを渡しに行ったという。日本人で初めてツール・ド・フランスを走ったのは1926年の川室競で、今中はその70年後の1996年に走った。第14ステージで制限時間に間に合わず、レースを去った。それでも長く閉じていた扉を開けたのは、30代でヨーロッパへ渡ったこのアシストだった。2009年には、その扉を13年後に通った別府史之と対談している。
出典(6件)
Daisuke Imanaka — Wikipedia (en) ↗ファンライド(2022年11月17日、本人へのインタビュー前編):「地元広島の川沿いを、近くの大学生たちが革製のカスクをかぶって当時ロードレーサーと呼ばれていた自転車で走っているのを何度も見かけた。」「最初は下宿の1年生にたくさん入ってもらって自転車競技愛好会(のちに同好会、部に昇格)を作りました。」「1990年にシマノに入社し」「さっそく1年目でツール・ド・北海道で総合優勝を飾る。」「最終的にイタリアの名門ポルティと契約。」「すぐ帰されると思い、毎日ジャンルイジ・スタンガ監督へトレーニングした内容のメモを書いて渡しに行っていた。」「ボトル運び、パンク対応…….」「その勝利は何度もアシストした。」「すでに31歳になる年だった」「シマノの社員でもあったので、機材に関するレポートも送っていた。」「1963年生まれ、広島県出身。大分大学で工学修士過程修了後、株式会社シマノに入社。」 ↗ファンライド(2022年11月17日、本人へのインタビュー後編):「1996年に少年時代から憧れだったツール・ド・フランスに初出場する。」「実は今中さんの出場を機に過去の記録を調べた後に明らかになったこと。」「「日本のみなさんが待ってるので、一言お願いします」と言われ」「最後のレースは宇都宮のジャパンカップで、4位と奮闘した。」「インターマックスを創業した。」 ↗J SPORTS(2025年6月24日、ツールを走った日本人ライダーたち):「それから70年のときを経て、ツールの扉を開いたのは今中大介さん。」「チーム ポルティの一員として1996年に初出場を果たすと、第14ステージでタイムアウトに終わった」 ↗ジャパンカップ公式(1997年大会の記録):「今中大介の引退レースとなったこの年、最大のライバルはマペイチームに所属するシマノ時代の後輩、阿部良之だった。」「優勝の栄冠は阿部が手にして日本人の勝者が初めて誕生した。」「4. 今中大介 (ポルティ 日本) +13」 ↗cyclowired(2009年9月3日、別府史之×今中大介 対談):「振り返るツール・ド・フランス2009 13年の空白を経て日本人がツールに残した足跡」 ↗
ひとくちメモ
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次はこの選手 — クリス・フルーム
30代でヨーロッパへ渡った男の次は、2007年にツアー・オブ・ジャパンの伊豆ステージを勝った選手。ケニアで育ち、のちにツールを4度制します。